ATSUHITO OTAKE

言葉

作家の言葉と、評論家の言葉。そこから見えてくる、大切にしていること。

MESSAGE / メッセージ

わたしは、ものを見るとき、眼の中で何が起きているのかを、ずっと知りたかった。できることなら、眼球の裏側から、網膜に写る風景をのぞいてみたい。球体写真は、その願いから生まれた。

ガラス球に、小さな針穴をひとつあける。レンズも、わたしの手の技も通さない。まっすぐに入った光が、その場所の風景を、球の内側いっぱいに結ぶ。像をつくるのは、わたしではなく、光と場所と時間だ。わたしにできるのは、場所を選び、訪れ、とどまり、待つことである。

わたしたちのまわりには、複製された像があふれている。いつでも、いくらでも、つくり出せる。けれど球の中の像は、たしかにその時、その場所の光であって、ほかのどこにもない「今」の痕跡である。

原始的な仕組みだからこそ、見えてくるものがある。暗闇に目が慣れるのを待ち、像がほのかに輝き出すのを見る。その時間の中で、わたしは、世界がどのようにして「見える」のかを、もう一度確かめている。

大竹敦人

(下書き:作家のこれまでの文章と評論をもとに統括がまとめたもの。塾長が直して完成させます)

大切にしていること

見ることそのものを問う

眼球の裏側から網膜をのぞきたい、という願い。わたしたちが「見ている」世界は、光が結んだ像である。そのことに気づくところから、すべてが始まる。

光にまかせ、作為を手放す

像を結ぶのは光であって、作家の手ではない。思惑の及ばないところにこそ、世界のありのままの姿が現れる。

その場所でしか成り立たない

作品は、置かれる場所と切り離せない。どの作品も、撮った場所、展示する場所との関係の中で生まれる。

複製の時代に、一度きりの「今」を定着させる

いくらでも複製され、つくり出される像の中で、球体写真は、その時その場所の光だけを残す。

時間をかけて見る

長い露光、暗闇に目が慣れるまでの時間。ゆっくり見ることが、見えるものを変える。

原始的なものから、新しい発見を

古い光学の原理を、自分の手で確かめる。そこから、これまでの歴史になかった表現が生まれる。

作家の言葉

「球体写真」

2006 第3回府中ビエンナーレ(府中市美術館)

わたしたちが、ものや外界を見るということは、眼球に写し出される像を知覚する状態を示している。わたしの「球体写真」への関心は、できることなら眼球の裏側から網膜に写る風景をのぞいてみたいという欲求から生まれた。さらにカメラ・オブスクーラ(ピンホールによる暗箱カメラ)にみられる写像とその像をむすぶ光の集束との関係に、その成り立ちの過程とあり方に密接な相互関係を持つ美の構造モデルを見いだしたことが、「球体写真」による創作を進める契機となった。

「球体写真」の制作は、その空洞の一点に円形の穴が開いている硝子製球体の内壁に写真乳剤を塗布し、全体を遮光する。それは硝子球をフィルムとする硝子乾板ピンホール・カメラであり、フィルムとカメラ両方の機能を備えている。撮影現場に球体を設置し、ピンホール部分を開口して撮影を行う。

カメラ・オブスクーラには、焦点が無限界に合う光学現象の特性があるが、これによってピンホールから異なる距離を持つ球面状のフィルムすべてに焦点を合わせることが可能となり、パンフォーカス写像が球体の内壁全面に写し出される。つまりピンホール前方の被写体全体が、光の反射によって球体の内部に鮮明な像としてとらえられる。

ピンホールという小さな開口から、暗箱としての硝子球体の内面に写し出される像や風景は、レンズ等によって歪められることのない直進する純粋な光の束に結ばれ、すべては互いに相似形として存在する。世界に反射する光を集めるプロセスを通して、球体写真は、イメージの生成装置となってわたしの手を離れて、場との確かな相互関係に世界を球体のなかに封じ込めるのである。

「乳化」

1997 桐生再演4

我々の日常には様々な複製が溢れ、生命の複製さえ生産されている。

肉体を構成している細胞にしても、生の発生時には一つの細胞でしかなく、それが無数の細胞分裂を繰り返し、DNAの信号によってその姿を変え、それぞれの役目を与えられ人となる。

複製を背負って存在する中で、実物の存在を探している。存在を取り巻く現在は、刻々と訪れ、同時に、過ぎ去る。記憶は現在を複製し保存する。複製された現在は、ときたま顔を出すが実物に打ち消される。歪みを生じた現在は、乳化を伴い再び保存される。

ガラス球に歪んで定着した風景は、現在を認識する助けになるだろうか。

「時間の風景」

1997 新宿高島屋タイムズスクエア

我々の日常の中では、記号やイメージの類が時間とともに反復され、やがて元の意味や形はそれを失い歪んで行く。または、01の世界の無限に劣化のない反復によりそれはクローンのように本人を見失う。

今という事実は刻々と過ぎ、そしていつの日か夢の中で再現されるのを待つ。小穴を通して暗闇の壁面に写し出される風景は夢のスクリーンのようだ。しかし、確かにそれは(まぎれもなく)この時と光であって、今という事実なのである。

「証人の影」

1997–1998 Shadow of Witness

例えば鉢植えされた植物は、本来在るべき場所から切離され叉は生(もと)から其所を与えられない。我々人の其所は何処に在るのだろうか。必然にして生を受ける場所とは。生きてゆく場所とは。

子宮から見た光。今も私を向かわせる光。唯一の証人であるはずの私は、光に記憶を奪われ所在を失う。しかし振返ると、影が其所を舐めるようにしかも滑らかに記憶していた。

「対話」

1997–1998 Dialogue

予期せず訪れるDeja vuは空間を歪める。立っている位置を確認するために周りを見渡す。これは内部で起こっているのか?それとも外部の変化なのか?しかしその歪みに身を任せれば、内部と外部の領域が一つになった様な、その境界線の不在に気づく。

鏡面に磨かれた表面とそこに定着された図像からなる空間は、「私」という境界線を写し出すだろうか。

「地表の芽」

1999 Bud of Surface of ground

望んで訪れる人がいたとしたならば、ここは彼の脳神経ネットワークという異なる地表に根を下ろすことになるだろう。

大木の袂、神社の片隅、橋群の下、テトラポットの隙間、建物と建物の間・・何気ない地表。とある場所に出会った時、記憶の奥底にある枯れた地表が潤わされて、身体の中の空洞が透明感溢れる光で満たされることがある。その空洞に差し込む光によって表現の芽が誕生し、養分を求めて外界へ根を伸ばす。

私は再びここを訪れ、闇の外界を照らし出す。

「空(くう)」

1995–1999 air

ある晴天の正午、微風の中 ― 開始/天空に拡がる暗黒であろう無限。いずれはここに辿り着くであろう球面。明らかに滞在している透明。

この空虚に含まれるための訓練は、無限の輪郭、球面の裏側、透明の量を測ろうとする身体の動きに耳を傾け、薄くはかない皮膜の内部に包摂している空(くう)を見つめること。稀に完璧な均衡がとれる。/日が15度傾き、風が舞う ― 終了

「光闇の器」

2000 Alef

仮に現在とは光の発生の時と妄想してみる。現在は発生から内外への反射により、次々に空間を増殖していく。その様は無限で永遠に続く爆発と想像する。

天から届く普遍の光。我々を照らし出す現在は、時間と距離を経て光を創り続け、同時に闇を創り続ける。光と闇の中に存在するであろう混沌たる現在は、あの器の中だけで乳化し発光を始めるに違いない。

作品の成り立ちについて

2009 アートプログラム青梅2009(記録集の文より)

作品の成立条件の中に(可能な限り)、設置される場所(場)と密接な関係がなければならないというルールを自分で決めていて、いわゆるサイトスペシフィック・アートという分類に当てはまる。

球体写真を制作するなかで、全てが成功するわけではなく2割程度の失敗がある。

インタビューより

2006 『大人の科学マガジン』(学研)

現代美術は、コンピュータなどに頼りすぎていると思います。ピンホールというのは原始的ですが、球体写真は、これまでの歴史にはなかったものです。美術を通して、そういう新しい発見、発明を提示していかなければと思うんです。

評論家の言葉

森 未祈「EPHEMERAL PHOTOGRAPHY」展に寄せて

エフェメラル フォトグラフィー/写真の観照性 表参道画廊 2017(案内状より)

写真とは、現実のイメージを紙に定着させたり、デジタル化したりした二次元的なものであると断定できようか。大竹敦人と多和田有希はその疑問に一つの答えを与えるかのように、写真というメディアを用いながら、既存の形式を超えて制作している。私は過去に横浜市民ギャラリーあざみ野で企画した展覧会に二人を招聘した。2009年には「あざみ野写真EXPO 視覚の冒険」というグループ展で大竹敦人を、2014年には「あざみ野フォト・アニュアル 写真の境界」というグループ展で多和田有希を出品作家の一人とした。前者は、人間の視覚に対する欲望がカメラや写真を発展させてきたことに焦点を当て、横浜市所蔵カメラ・写真コレクションと同時に現代作家の作品を展覧する企画だった。後者では、独自のアプローチで写真表現を拡張し、私たちの視覚に揺さぶりをかけるアーティストの作品を通して現代写真の現地点を探った。大竹、多和田の両氏は、写真を物質的にとらえ、その表現の可能性を広げるところに共通点がある。しかしそれぞれの作品に向き合ってみると、大竹には光学的な、多和田には心理学的な関心が強いことがわかる。

大竹敦人は、ピンホール・カメラの原理を用いて、鏡面ステンレスやガラスの球体などを支持体としてモノクロのネガ像を定着させる作品を制作している。大竹の関心は写っている被写体以上に、光がある一点を通過して逆さまに像を結ぶ現象そのものにある。光を通してそこにある空間を把握しようとしていると言ってもよいかもしれない。このことは、ガラスの球体と室内の間に糸を張り巡らせ、ピンホール・カメラの現象を可視化したインスタレーション《Sea of view and eye 視点と視線の海》(2006年)を見ると明らかだ。大竹は代表作とも言える球体写真を「眼球の裏側から網膜に映る風景をのぞいてみたいという欲求から生まれた」(*)と述べている。「見る」ということは網膜に映った像を私たちの脳が知覚することである。大竹が求めたのはその前の状態の、私たちの眼球を通して結ばれた180°の像を純粋に写しとることだった。その行為には、できるだけ自分という主語を消し去り、世界を客観的にとらえようという姿勢が感じられる。だが、本展に出品される新作《Point of view》(2017年)にはやや異なる意識が見いだされる。本作では、暗室テントの中に植物やりんごなど身近な物体を配し、テントに施したピンホールを通ってその物体に外の光景が投射される様子をカメラで撮影している。そこには身近な物体と外界とが静かに関係性を結ぶ物語を感じることができる。大竹は本作で、これまであえて控えめにしてきた「自分」という存在を起点に、ある地点(もの)と別の地点(空間)とを結ぶ新たな拡張する視点を獲得しようとしている。

(中略:多和田有希の作品について)

大竹は光を追い求め、多和田はイメージが内包する心理的な世界を掘り起こそうとすることで、写真の真理に近づき、世界を自己に手繰り寄せようとしている。二人にとって写真は、自らを取り巻く世界を知覚する目の延長線上にある。生命や地球、果ては宇宙までの長い営みの中で私たちが見ることのできるほんの一瞬の光を、確かな自分の感触でとらえようとする二人の模索のかたちが「つかの間の写真術」として提示されているのだ。

山本和弘「Inside Looking Out」

美術評論家・栃木県立美術館シニア・キュレーター/『大竹敦人展《光闇の器》』ギャラリー同潤会 2006

大竹敦人の作品は地球の歩き方、ならぬ世界の捉え方を教えてくれる。もちろん、捉えるといっても世界の全貌を余すことなく捉えることなど私たちにはできうるはずもない。しかし、あくまでも視覚的にという注釈をつける限りにおいて、大竹は世界そのものを手中に収める醍醐味を私たちに示してくれる。

世界を手中にする方法は、ピンホールという極めて古典的かつ堅固な光学原理である。そこには人為的なレンズは介在しない。ピンホールは針穴を通った光が光源の反対側に像を結ぶという原理そのものが作品に直結するものであり、アーティストの手や技が介在しにくい方法でもある。そこで像を映し出すスクリーン(遮蔽面)をいかに構築するかにアーティストのコンセプトが最も明確に表れることになる。

大竹が採用するのは硝子球である。硝子は像を映し出しながらも光を透過させるという相矛盾した特性をもつ。また、球体はその表面にかかる力を均一に分散させる力学的特性でも知られるように、ピンホールによるカメラ・オブスクラ(暗箱・暗室)のスクリーンとして用いられる場合、内部に取り込んだ光線の束を最大化して受け止めるのに最適なフォルムでもある。これらの硝子球の特性と、いわゆるパンフォーカス(無限界合焦点)というピンホールの特性とが相まって、私たちの眼の前に実現される球体像では、建築的な遠近が解体され、天と地が反転され、内と外の入れ子状の関係も転倒されている。まさに世界内存在とも規定される私たちが、世界の内側にいながらにしてその世界を外側から見やっている状況がここには現出している。

また、絵画のようなフラット・スクリーン(平板遮蔽面)は世界の部分としての像をしか提示しえないのに対して、大竹のスフィアリカル・スクリーン(球体遮蔽面)は世界の全体としての像を原理的には提示するだろう。さらに世界を巨大な球体と仮定した場合、光学的事実としてはその半分だけを光線として取り込んでいるにすぎないが、しかし、視覚的事実としては、あたかも世界そのものが一個の球体の中に吸引されたかのように感じられるだろう。アフォーダンス風に言い換えるならば、私たちを取り巻く周囲光としての大きな世界を、ピンホールによって、反射光としての小さな球体へと変換し、それを像として提示したものが大竹の球体像であるといえるのである。

こうして世界を球体内部に映し込むことは、私たちの眼の前に広がる掴みどころのない茫漠とした世界、いや宇宙を捉えることに他ならない。しかし、そこには計測不能の宇宙と張り合うかのような現代のテクノロジーがもつ壮大な気負いは一切ない。しかも、その球体が両手で抱きかかえられるほどの大きさであることによって、光学的に圧縮された世界は私たちの眼球や頭蓋と等価の近さに引き寄せられる。あたかも私たちが日常的に見ている世界そのものが手のひらサイズで提示されたかのように。

さらにこのスケルトンな球体映像は、世界そのものを捉えることではなく、世界が像としてのみ捉えられうることを示してくれる。しかも、このフラジールな球体像はあたかも世界像の生成の現場に立ち会っているかのようなダイナミズムと、像化された世界がいつ砕け散ってもおかしくない危機的現実をも体感させてくれるだろう。

たしかに個々の硝子球は21世紀の表参道という現実を写像している。だが、そこで私たちが見い出すのは、まさに赫奕(かくえき)として瞼の裏に立ち上りながらも、いまだ定着されざる像の始源そのものだけが浮遊しているという事実である。個人のまなざしと世界との橋渡しをするのが、大竹のピンホールという方法であるとすれば、光景と闇景の狭間を往還する像世界は、生から死への往還もが無限階調的に連鎖していることのアナロジーであるかもしれない。あるいは、世界が時間的・空間的に閉じているとするならば、私たちのいる世界そのものもまたひとつの巨大なカメラ・オブスクラであることをも「光闇の器」は気づかせてくれるだろう。(やまもとかずひろ美術評論家/栃木県立美術館シニア・キュレーター)

鷹見明彦「個々の事物(たとえば鏡の表面)」

美術評論家/『Dialogue #』Galerie SOL 1998

「ある日わたしはこっそりと禁じられた階段(地下室への)を降り始めましたが、途中で足をすべらせて転げ落ちてしまいました。そして目をあけた時に見たのです。アレフを。」

「アレフ?」とわたしは言った。

「そうです。あらゆる角度から見られた地球上のすべての場所が、混乱することも融け合うこともなく、それぞれの形状をはっきりと保ちながら凝集している場所です。・・・・」わたしは彼にちょっと糺してみた。「だけど、その地下室は大変暗いんじゃないですか?」

「頑迷不霊な精神には真理の光はさしこまないものです。世界中のあらゆる場所がアレフに包含されているとすれば、あらゆる星、あらゆる灯火、あらゆる光源もまたそこにあるはずでしょう。」[1]

これは1941年のブエノスアイレスと想定された時空での会話だが、ごく最近“アレフ”の片燐らしきものを見たという噂を幾人かの知人から聞かされた。場所は、かつて織物の町として栄えたK市の工場跡[2]とその周辺一帯で、夏の終わりから秋にかけてガラス球状のものが複数目撃されたという。そもそもヘブライ文字の原音でありーにして無限を表すアレフが、いかにインフレーション宇宙論に惑乱する世紀末といってもそんなに増殖するのを不審に思い調べてみると、間もなく作者が判明した。

調書によると、その球体は『Emulsification(乳化)』という連作で、内部に感光乳剤を塗ったガラス球をそのままピンホール・カメラ化し現場の環境を写し込んで倒置したものだという。乳剤はネガティブなので、ガラス曲面の写像はネガになり、その半透明な球体写真には、現実の像がダブルに反映する。「複製を背負って存在する中で、実物の存在を探している。存在を取り巻く現在は、刻々と訪れ、同時に過ぎ去る。記憶は現在を複製し保存する。複製された現在は、ときたま顔を出すが実物に打ち消される。歪みを生じた現在は、乳化を伴い再び保存される。ガラス球に歪んで定着した風景は、現在を認識する助けになるだろうか」[3]

作者のO君は、球体写真に平行して鏡面ステンレス板に写像を焼き付けた大型のステンレス写真による「Dialogue(対話)」というシリーズも制作しているらしい。

人は、カオスの闇から自我を分離させるのに鏡像を必要とした。複製化された鏡像の増殖は、分裂し乱反射するあらたなカオスの海に存在を漂わせ飲みこもうとしている。

「・・・・アレフの直径はおそらく2.3センチにすぎなかったが、そこに全宇宙が、縮小されることもなく、そっくりそのまま包含されていた。個々の事物(たとえば鏡の表面)はそれ自体無限であった。というのは、わたしはそれを宇宙のあらゆる地点からはっきりと見ていたからである」[4]

宇宙のあちらこちらに開いているというブラックホールのように、「アレフ」のネガが存在すると想像する誘惑に駆られる。(美術評論家)

註:[1][4]ホルヘ・ルイス・ボルヘス『アレフ』[2]「桐生再演4」群馬県桐生市 1997

鷹見明彦「MIRAGE-鏡面界-」

美術評論家/ガレリア・ラセン 1999

幼児は、実体と鏡に写る象との区別を学習するプロセスに自己と他者を分離し、人間として主体性を獲得していくそれはまた世界と不可分であった時の環から、分裂と統合が乱反射する航海への出発を意味する。電子メディアとシステムの速い展がりは、鏡像段階から意識をたちまち仮象の森へ連れていく。鏡との距離、その効用と拒絶に馴じむ間もまく、ONとOFF、0と1のあいだに流れる時間が脱け落ちた世界で何を捜し、どこへ行こうとするのか?明かり窓のある部屋の構造をピンホール・カメラ化し外界をリス・フィルムに転写する大竹敦人。光源を内蔵する鏡にピンホールを開孔し光とイリュージョンの界面を映し出す大塚聡。映像と実体が交錯するそのひとつの場所に世界に遍在する隙間へのフィティングを試みる前沢知子。ミラージュ(蜃気楼)の境界から、鏡の内へもつづいている表現の糸口を求めて。鷹見明彦(美術評論家)

鷹見明彦「蜃気楼」

美術評論家/『mirage』モリスギャラリー 1999

理由は何であったにしても、あなたが地の涯ての独房に閉じこめられたとして、その牢獄にひとつの窓があるかないかのちがいを想像してみよう。たとえ、窓しかみえなくても、時が経つほど、ひとつの窓の存在は、隔てられた世界との結がりそのものとなっていくことだろう。仮にあした自分にそのような運命が訪れたとしたら、この際限のない映像とメディアの洪水に盲いた状態から脱して、よりオリジナルな世界との絆が回復できるかもしれないという渇望があるのも、否定できない・・・・。ある特定な現実空間自体をピンホール・カメラという映像メディアのもっともプリミティヴな初態に変貌させる大竹敦人の作品では、幾重もの複製のネット内で、実像と写像の距離を見失った視覚のリアリティが動機となっている。あらたな「原始絵画」ともいえるその試みは、メディアの質は変わっても、世界を画像化して認知する人間のパラドックスと壁のない監獄と化した世界というミラージュ/蜃気楼を映しだす。鷹見明彦(美術評論家)

Art inn 美術館携帯ガイド Editor's review

第3回府中ビエンナーレ「美と価値 ポストバブル世代の7人」評 府中市美術館 2006

よく晴れた日曜の午後1時過ぎ。初冬の澄んだ空気の中、色づいた紅葉をバックに家族連れが記念写真を撮っているほどよい広さの公園を抜け、私は府中市美術館に到着した。今回初めて訪れるこの美術館は、なんとも静かな風景の中にあった。

今回で第3回目となる府中ビエンナーレ、副題は「美と価値 ポストバブル世代の7人」。若手作家の育成を活動テーマのひとつとして掲げる同美術館が隔年で開催しているグループ展だ。

「方法論を重視している点」で集められた若手現代美術家は、大竹敦人、境澤邦泰、松井茂、小林耕平、窪田美樹、森本太郎、豊嶋康子の7人。いずれもバブル経済が崩壊した1990年代初めに、本格的な作家活動を始めた。あらゆるものごとの「価値」が大きく揺らいだこの時期、価値観そのものに明確なかたちは無く、普遍性という意味さえも疑われてしまう中で、美術を通して自ら価値形成をしていくことで、この不確かな社会とつながっていこうと試みている作家たちである。(中略:ほかの作家の評)

大竹は、ピンホール写真の原理を利用し、内部に写真乳化剤を塗りこんだ40センチのガラス球を多摩川の水辺に置き、まわりの風景を写している。たった一点の針穴から差し込んだ光によって、天地左右が逆になった360度の周囲の世界が写しこまれているのである。それら一定の手順を踏んでいく中には、作家自身の思惑は何一つとして及んではいない。そしてそれは、人間が眼球から取り込んだままの視野と近い。

あえて意図しないことで現れたこの透明な球体は、世界をありのままの姿でとらえる。現代社会において、また、私自身のごく身の周りに絡み合う様々な思惑が洗われていくような、作為の無いその制作の一部始終は潔く、美しい。

ほかの文献